Category : 狭山闘争
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全国水平同盟-1

寺尾差別判決39カ年糾弾!
新自由主義と対決する部落解放運動の力で
狭山第3次再審闘争に勝利しよう
 

 7月14日、ついに新自由主義と闘うまったく新しい部落解放運動の全国組織、国鉄闘争を基軸に非正規職撤廃を正面課題に掲げて闘う全国水平同盟が結成された。大阪・西郡支部に続き、東京で杉並支部が旗揚げした。

●国鉄決戦を闘い、階級的団結の力で狭山再審に勝利しよう 

 9・25動労千葉鉄建公団訴訟控訴審判決をめぐる闘いは、JRの不当労働行為を暴き出し、国鉄分割民営化体制・国鉄改革法体制の破綻をつきだした。
 JR体制打倒の国鉄決戦は、JR北海道事故問題、何よりも9・25反動判決をとおして、国鉄改革法体制をゆさぶり、風穴を開ける闘いとして発展している。国鉄分割・民営化体制とは、戦後階級闘争の絶滅攻撃である。それは部落解放闘争においては、地対協(地域対策協議会意見具申)路線であり、戦後部落解放闘争の解体のもと、雇用、住宅をはじめ生活と生存の破壊、地域的、社会的な紐帯(ちゅうたい)と共同性の解体として、進行していった。だからこそ、部落解放闘争は、あくまでも国鉄闘争と一体となってはじめて全労働者の闘いとしてその発展と展望を持つことができる。この立場で、西郡住宅闘争を闘い、狭山闘争を闘おう。
 今日の非正規雇用、労働者派遣法、偽装請負の始まりは国鉄改革法であり、これに反撃する道が9・25できりひらかれた。全力で国鉄決戦を闘い、この力で狭山闘争に勝利しよう。JR解雇撤回・職場復帰の10万筆署名に全力で取り組もう。

●石川一雄さんは無実だ。国家権力による部落差別をうち破ろう 

 狭山事件とは、1963年5月1日、下校後に女子高校生が行方不明となり、翌日に警察が身代金を取りに来た真犯人を取り逃がし、4日に殺害された高校生が発見された埼玉県狭山市で発生した事件だ。
 捜査の矛先は、狭山市内の被差別部落に向けられ、5月23日、当時24歳の石川一雄さんが事件と関係ない微罪で逮捕された。権力は、石川さん逮捕と同時にマスコミを使って部落差別宣伝を繰り広げ、予断と偏見をあおり、石川さんを家族、弁護士とも会わせず孤立させ、虚偽の「自白」をとりつけた。「生まれ育った環境が」「人格に影響」という検事の部落差別論告をうけて、一審は死刑判決を下した。
 これに対して石川さんは、二審冒頭「俺はやっていない」と無実を叫び、たった一人の闘いを開始した。石川さんの訴えが70年安保・沖縄闘争と結びつき、青年労働者・学生など10万人が東京高裁を包囲する闘争に発展していった。部落差別による階級分断攻撃が狭山闘争をとおして階級的団結に転化し、団結が拡大していった。1974年10月31日、寺尾裁判長は無期有罪判決を下した。その本質は、階級的団結とその拡大に対しする差別分断攻撃だ。事実調べも現場検証も行わず、一審差別判決護持のために有罪を決定したのだ。77年、最高裁も事実調べをせず棄却した。しかし、石川さんは、「真実と正義は必ず勝つと」獄中で闘いぬき、95年仮釈放の後、現在も完全無罪にむけて第3次再審を闘っている。
 国鉄分割・民営化攻撃と同時に解放運動つぶしの攻撃が激化する中、狭山闘争の解体を狙った仮釈放攻撃をうち破って、狭山闘争は国家権力による差別分断をうち砕く闘いとして貫かれてきた。2010年5月に36点の証拠が開示されて以降、部分的証拠開示がかちとられているが、検察は「殺害現場のルミノール反応報告書」など決定的証拠の開示を拒否、有罪護持に必死だ。
 狭山闘争は、石川さんの絶対非和解の闘いを柱に、国家権力による部落差別を暴き糾(ただ)す闘いであり、階級的団結をうち固める闘いだ。石川さんを先頭に新自由主義による団結破壊・階級圧殺攻撃をうち破っている。星野再審闘争が切り開いた全証拠開示運動と結びつき、狭山裁判の全証拠の開示をかちとろう。裁判所に事実調べを迫ろう。10・26東京、10・31大阪、広島での狭山集会を大成功させ、11・3労働者集会1万人結集の先頭に立とう。

2013年10月17日
     全国水平同盟




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犯行現場とされた雑木林の跡地で


 10月6日、狭山現地調査をおこないました。主催は東日本部落解放共闘会議。今年3回目となる今回の現地調査は、労組交流センターや西部ユニオンの労働者が参加しました。全国水平同盟杉並支部から2名が案内につきました。

 午前中は、地元の白山神社にいき、狭山の部落史を学習。その後、石川一雄さんの事件当日の実際の行動にそって歩き、石川さんの生い立ちや当時の生活に思いを重ねて、石川さんの無実を検証しました。
 狭山市駅に戻り寺尾有罪判決が認定したでっち上げの「犯行コース」をたどりました。「出会い地点」や「犯行現場」などで「再現実験」を行いました。いたるところ矛盾だらけで、寺尾裁判長が「頭の中で」書いた判決であることが鮮明になります。とりわけ「殺害現場」とされる雑木林があったところでは、寺尾判決の「虚偽・架空」なことを実感。近くで農作業していた小名木さんの証人喚問を拒否したり、犯行現場で血液反応がなかったという「ルミノール反応報告書」を隠したりするすることは、権力による意図的な差別犯罪です。参加者は石川さんの無実を確信し、寺尾判決への怒りをあらたにしました。
 午後は、警察が身代金を取りに来た犯人を取り逃がした「佐野屋」前に行き、そして石川さんがスコップを盗んだとされる養豚場へ向かい、被害者宅のある堀兼地区まで足を運びました。ちょうど、散歩していた被害者の善枝さんと同じ年だという男性と立ち話になりましたが、狭山事件に話が及ぶと急に口をつぐんでしまったのが、印象的でした。
 
 今回は、「佐野屋」「掘兼地区」まで足を伸ばし、狭山事件の全体像が浮き彫りになったと思います。この日初めて現地調査に参加した労働者は「寺尾判決は矛盾だらけで、『犯行』は不可能な事を現地を見て実感した。国家権力による部落差別の権力犯罪そのものだと改めて思った」と語っています。事件当時農村地帯だった現地は、都市化の波で風景は一変していますが、狭山の真実はやはり現地にあり、そこに立って歩き調べることは大変重要です。
 今年は石川さんが不当逮捕されてから50年、10月31日で寺尾判決から39カ年になります。石川さんとともに狭山再審無罪を何としてもかちとりたいと思います。10月26日の狭山集会に結集しましょう!



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