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公判のあと裁判所西門の前で意気高い10家族と西郡住民

 9月19日、西郡10家族の住宅明け渡し弾劾裁判闘争が、大阪地裁202大法廷の傍聴席を埋め尽くしてたたかわれました。
 2011年7月27日、八尾市は、田中市長名で、供託者に対して「全額納付または納付相談がない場合は、住宅入居契約を解除する」という催告状を送りつけてきました。これに対して、西郡支部と供託者は、同年8月25日に納付相談に住宅管理課に行ったところ、橋本課長ら住宅管理課は、何の説明もせず「個別にしかできない」といって納付相談を拒否しました。一切の責任は八尾市にあります。応能応益家賃制度の違法性とともに、10家族の住宅追い出しに1ミリの正当性もありません。
 この日の公判では、末光道正さん(八尾北医療センター院長)、佃文弘さん(西郡青年部長・供託者)、島瀬豊子さん(西郡支部・供託者)の3人が証言に立ち、八尾市の供託者10家族に対する住宅追い出しを徹底的に弾劾し、応能応益家賃制度による住宅追い出し・西郡更地化に絶対反対で闘うことを明らかにしました。
 証人尋問で、末光さんは、「応能応益で家賃を上げ、住民が住めないようにして追い出し更地化して資本に売り渡すことは、絶対許せない」と述べ、応能応益家賃制度によって1000人以上がムラから出て行かざるを得ず、その結果、高齢化し、子どもも極端に少なくなり、桂小学校の新1年生はたった8名だったことを指摘し、応能応益家賃制度が破綻している現実を暴露しました。また、8月25日の納付相談の実態は、説明や相談というものではなく、供託をやめろと強制するものであったことを事実をもって暴露し、八尾市を弾劾しました。さらに、応能応益家賃によって家族がバラバラにされ、とりのこされた4,5階に住む高齢者が亡くなるということも起きており、「福祉住み替え」要求を無視し続ける八尾市に対し、医師としても許せないと怒りを込めて証言しました。
 佃さんは、車を廃車にしたので駐車場を市に返す手続きをしたところ、住宅と駐車場は別々に契約してあるにもかかわらず、八尾市は「駐車場を返すなら住宅も返せ」と手続きを拒否してきたことを暴露し、「これは、供託者、供託闘争に対する不当な弾圧だ」と八尾市を弾劾しました。そして、「住宅の問題は部落の問題だけではなく労働者全体の問題。とくに低賃金で働く青年労働者にとって低家賃の住宅は必要。全国水平同盟は労働者階級の闘いのなかで共同性を取り戻していく。西郡支部青年部長として先頭で闘う」と証言を締めくくりました。
 証言の最後に立った島瀬さんは87才。今年1月に亡くなったご子息の大北昌和さんの意思を引き継いで証言台に立ちました。島瀬さんは、現在の住宅に住むようになった経緯を述べ「最初は借家だったが、共同水道で風呂もなく、雨が降ったら水があふれて衛生状態が悪く、ようけいウジがわいた」、「〈入り人〉ということで差別も厳しかったが、主人は住宅を建てるためにみんなと一緒になって何度も八尾市や東京に行った。そのため夫は仕事を首になったが、私が残業をして家計を支えてきた」と住宅を実現するまでの苦労を語り、西郡の闘いの歴史を証言。そして、「応能応益家賃については最初から説明はなかった。賛成していたのは吉村議員だけ。私らの言うことは何も聞いてくれなかった。その結果、若い人はみんな出て行ってしまって、年寄りばかりになってしまった。昔に比べるとお祭りもさびしくなった」、「昌和を、亡くなる前に家に連れて帰りたかった。エレベーターがあればつれて帰れたのにと思うと、残念で悔しい」と切々と語り、最後に「皆で建てた住宅だから皆で頑張りたい」とキッパリと証言しました。
 この日の公判闘争は、傍聴席を埋めた西郡支部、八尾北労組、関西合同労組などと一体となって、ギリギリと八尾市を追いつめました。
 次回公判は11月21日、10時半から。最終弁論となります。西郡住宅裁判闘争の勝利へ、大阪地裁に結集しましょう。



公判のあと裁判所正面玄関で杉並支部から檄布


公判のあと裁判所正面玄関で意気高く団結ガンバロー




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